DAIAMONDの記事でリハビリテーション病院について書かれていた記事です。
リンク切れをするといけないのでので引用します。

「ミスター・ジャイアンツ」と呼ばれた長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督をはじめ、多くの著名人らが再起をかけて入院したリハビリテーション病院の著名医師として活躍している医師の石川誠氏。リハビリテーション医療はチームプレーであり、凄腕の天才外科医が活躍するテレビドラマ「ドクターX」のような医師は必要ないと断言、その理由を語る。(医療ジャーナリスト 木原洋美)

リハビリテーションは “ドクターX”にはできない

石川医師

「うちの病院は全員がイーブン。それぞれのスタッフがプライドを持って言いたいことが言えて、納得できる仕組み作りに30年をかけました。医療の民主化と呼んでいます」
 そう力強く言い切るのは、リハビリテーション医の石川誠氏。初台、成城、船橋等、東京と千葉に5つの拠点を有し、1200名を超すスタッフが勤務する医療法人社団輝生会の理事長である。中でも2002年に開所した『初台リハビリテーション病院』(新宿区)は、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督はじめ、サッカー日本代表のオシム元監督や自民党の谷垣禎一元幹事長など、多くの大物たちが再起をかけて入院したことで知られている。

 石川氏自身も、「リハビリの名医」あるいは「ゴッドハンド」として、テレビの有名ドキュメンタリー番組など、数々のメディアに取り上げられてきたが、正直なところ、「その呼ばれ方は不本意」と苦笑いする。なぜなら、リハビリテーション医療はチームプレー。リハビリ医、看護師、介護士、理学療法士、作業療法士、管理栄養士、医療ソーシャルワーカーなど、各領域のプロフェショナルが一丸となり、持てる力を尽くさなければ、理想のリハビリテーションは行えないと確信しているからだ。

「この病院で患者さんを治しているのは、スタッフたちです。『やり過ぎだ』とか『もっとやったほうがいい』とか、ドクターストップ的に声をかけることはありますが、それ以外はできるだけ任せて、じっと我慢するのが僕たちリハ医の役割です。 そして僕は、スタッフが存分に活躍できる仕組み作りに、長年取り組んできました。
現在、うちの病院は、12~3人の専門職からなるチームを1単位として、患者さんのリハに当たっています。介護職員は全員介護福祉士の資格を持っているプロフェッショナルですが、以前は、自分たちを“介護現場の最下層”と勘違いし、劣等感を持っている節がありました。僕はその意識を変える教育に力を入れてきました。今ようやく、リハ医の片腕として、現場で意見が言えて、リハビリ計画やケアプランも立てられるようになってくれましたが、このレベルに至るまで3年かかっています。

 僕は日本中の介護職が、うちにいる介護職のようになれば、日本の介護は世界のお手本になると思っていますよ」

 リハビリテーション医療は、病気やケガの治療の先にある。医師としての知識や技能がいかに優れているとしても、単独では治せない。まして「群れを嫌い、たたき上げのスキルだけが頼り」のドクターXのような医師や、ドラマの舞台となっている大学病院のようなにガッチガチのヒエラレルキーが存在する組織には、本当のチームアプローチは困難で患者の機能を回復させることは難しいできないのだ。

「そういう仕組みを作る時、日本の介護業界で一番の問題児は医者ですになるのは医師の存在です。社会性のない人間医師だとが多くて、その人が入って来るだけで、現場が引っ掻き回されてしまういます。うちは、どんな医者が来ても引っ掻き回されない仕組みがあります」

「寝かせきり看護」が「寝たきり」を生む

 プロ集団によるチーム医療と並ぶ石川氏のリハビリの特徴は、「患者を寝かせきりにしない」ことだ。このやり方は、今ではほぼ常識になっているが、昔は「病人は安静に、特に脳卒中の場合は動かさずに様子を見る」のが普通だった。動かせば脳動脈瘤が再破裂してしまうかもしれない。治療法が確立されていなかった時代。患者を生還させるには、安静が一番と考えられていたのだ。

 しかし、「寝かせきり看護」の弊害は大きい。

 必要以上の安静は身体・精神機能を急速に衰えさせる。筋肉は痩せて縮み、関節は固まって動かしづらくなり、骨はもろくなって、精神・認知機能も低下する。いわゆる「廃用症候群」がを引き起こしてしまうのだ。骨折や簡単な手術で入院した老親が、わずかな期間であったにもかかわらず、足がすっかり痩せ細って歩けなくなり、認知症のようになってしまったという話しは、決してレアなケースではないし、ハビリテーション科がない一般病院では現在も、入院患者を寝かせきりにしている病院がある。

 ゆえに、ケガや病気で倒れた時、可能な限り早期にリハビリを開始してくれる病院に搬送されるか、寝かせきりにする病院に搬送されるかで、その後の人生の明暗は大きく分かれてしまう。

「廃用症候群を予防し、機能を回復させるには、一命を取り留めた瞬間から、可能な限り早くリハビリを開始しなければいけない」

 およそ30年前、日本のリハビリを大きく変えたのが石川氏だ。その背景には、10年以上に及ぶ、「理想のリハビリ」の探求があった。

自立して生きる力を取り戻す石川流リハビリの誕生

「手術をしても、患者さんがよくならない。命は助かっても、障害が残ってしまう。こんなことを一生続けて行くのか」

 1970年代、脳神経外科の新米医師だった石川氏は、そんな苦悩を抱えながら、日々手術に明け暮れていた。

 転機は医師になって3年目、佐久総合病院(長野県)で執刀した4050代男性の脳腫瘍手術だった。歩いて入院してきた患者だったが、術後、寝たきりになってしまう。すると、“偉大なる恩師”と尊敬する当時の若月俊一院長は言った。

「君が手術したのだから、この患者さんの人生は、すべて君が責任を持たなくてはいけないよ」

 この言葉に、医師としての覚悟が定まった。さらに、院長の持つ信念にも大きく心動かされた。

「医療はすべて地域医療。地域住民の生活を考えない医療は医療ではない」

 生命を助けるだけでなく、ちゃんと地域に戻り、自立した生活ができるまで回復させてあげてこそ真の医療。100%共感した石川氏は、リハビリ医への転身を決め、地域医療の実践に向かって走り出す。

 患者を自立した生活ができるまでに回復させる糸口はリハビリにある、と石川氏は考えたのだ。

 そこで、複数の医療機関で学んだが、いずれも一長一短あり、納得の行く手本には出合えなかった。当時、医師の世界でもリハビリへの理解度は低く、上司や同僚からは「医者がやる仕事ではない」と諭されもした。そんななか、修業に赴いた虎の門病院分院(神奈川県)で、瞠目する

「凄い看護がありました。どんな患者も寝かせきりにせず、ベッドから起こして、動かす。自立して生きていける力を取り戻すことこそが看護である、という核になる理論があり、実践されていました。あとはここに、医師、理学療法士、作業療法士、ソーシャルワーカー等々によるチーム体制を組み込めば、鬼に金棒。理想のリハビリができると確信しました」

 今につながる、石川流リハビリの原型が、見つかった。

 その後、スカウトされて赴任した近森病院(高知県)は、救急医療と手術は一流だったが、救命した患者はベッドに寝かせきりという「寝たきり製造病院」だった。

「伸びしろは大きいほうがいい。虎の門病院で見つけた理想のリハビリを実践し、地域医療のあるべき姿に変えよう」

 大改革に乗り出した石川氏は、付き添い看護を撤廃させ、基準看護と各種療法士によるチームアプローチのリハビリテーション病院を、当初与えられた郊外の土地ではなく、市街地に建つ近森病院の向かい側に開設した。

「家族の皆さんからは、不安の声があがりましたが、しっかりした看護ができる上に、自立支援の技術もあるスタッフがきちっと結果を出すことで、納得してもらいました」

 こうして、最高水準のリハビリ施設を持ち、かつ街中にある、日本では唯一無二の民間リハビリ病院が誕生する。

「最初の3年間こそ大赤字でしたが、4年目でなんとか黒字に転換しました。『近森のリハは素晴らしい』と評価されたことが大きかったですね。国の医療制度にも影響を与えたと思います」

 機能を回復して退院して行く患者たち。満足感を覚えた半面、東京回帰の想いが募った。

「都心にこそリハビリテーション病院が必要なのに一軒もない。都心のど真ん中に、まっとうなリハ病院を作ろう」

 新たな志を胸に98年、東京に戻り、医療法人社団輝生会を設立。近森病院で培ったノウハウを活かし、02年に初台リハビリテーション病院を創建した。

One for all, All for one
目的のため個々が役割を果たす

 石川流リハビリは多忙だ。「病み上がりだから、ゆっくり休養しましょう」なんてありえない。脳梗塞や心筋梗塞で倒れ、窮地を脱したばかりの患者であっても、病状が許す限りリハビリ漬けを強化する。多業種のスタッフが強力なチームを組み、365日24時間のサポート体制のもと、食事、排せつ、更衣、入浴など、日常生活全般をリハビリと捉えた訓練を、訓練室以外でも続けることになる。

「できないことは手伝いますが、自分のことは自分でできるようになっていただきます。絶対に、寝かせきりにはさせません」

 ちなみに04年に脳梗塞で倒れ、初台リハビリテーション病院に入院した、日本が誇るミスター・長嶋茂雄氏の場合も同様、いやそれ以上だった。

「保険の規定では、通常1日32時間なのですが、長嶋さんの場合は3時間の個別リハビリに加えさらに2時間、自主訓練をしていました。リハビリも治すためのトレーニング、闘いなんですね。1日休むと3日分後退してしまうと、休みなく打ち込んでいました。すごい迫力でした。あんな人は見たことがありません」

 13年を経た現在も、長嶋氏は同院の外来に通い、トレーニングを続けている。同院に寄せる、信頼の厚さが分るだろう。

 08年に設立した船橋市立リハビリテーション病院(千葉県)には、石川氏が長年の経験によって練り上げた理想がたっぷりと反映されている。

エントランスを入ると幅広の通路が奥へと延び、頻繁に人が行き交う様子は、一般の大通りのようにも見える。バリアだらけの社会に戻って行かなくてはならない患者のための訓練スペースを兼ねているために、あえて「バリアフル」にしてあるという。訓練室では患者一人ひとりに療法士が付き、多種多彩なリハビリが行われている。一般家庭を模した居間やキッチン、自動車の運転シミュレーター、リハビリ患者にとっては高速に感じる一般的な速度のエスカレーターなども、「地域復帰」を目的にするリハビリ病院ならではの設備だ。

 ただ、そんな至れり尽くせりの施設であっても、要となるのはスタッフであり、各自がイーブンな立場で協働できる仕組みであるという理念は変わらない。実際、いずれの病院にいる時も、石川氏はスタッフと同じユニフォームを着用し、理事長室は設けず、スタッフたちと同じ部屋で執務に当たっている。「自分だけは特別」という発想はないようだ。

 高校、大学とラグビー部に所属していた石川氏は、「One for all, All for one」という言葉が好きだ。「一人はみんなのために、みんなは一つ人の目的のために」の概念は、リハビリにも通じるという。

「一つの目的、つまりゴールのために、スタッフ全員が役割をしっかり果たすのが重要だ、ということ。凄く似ていますよね。我々の今後のゴールは、医療職と介護職、さらに地域も一緒になって取り組む『本物の地域包括ケア』を実現させることです。僕は、皆が一緒に頑張れるパラダイムを何年かかっても作って行きたいと思っています」

◎石川誠(いしかわ まこと)
’46年、埼玉県生まれ。医療法人社団輝生会理事長。’73年、群馬大学医学部卒業。13年間、脳神経外科医として働いた後、’86年、リハビリテーション医に転身する。近森リハビリテーション病院院長を経て、2002年より現職。。

長嶋茂雄の主治医が語る、リハビリに「ドクターX」が要らない理由 DAIAMON記事2018年1月12日>